野菜主義の中の江戸野菜

江戸幕府が開かれると、各地の大名が江戸屋敷を構えた為、全国各地から多くの人が 江戸に集まり、江戸には人口集中都市が形成されました。各大名が、国の野菜を江戸に持ち込み栽培を始めた事により、それらの種子は藩外へ流れ、それぞれに品種改良され、江戸中に広がるそうした野菜はいつしか“江戸野菜”として定着し発展していきました。

江戸は130万人もの人口を抱える世界最大の都市に発展した為、人口の増加で 食糧の供給が追い付かず、生鮮野菜の確保の為に幕府、大名、農民は一致団結して取り組みました。初物好きの江戸っ子は、通常よりも1日早く収穫ができる「保成栽培」の技術を作り上げ、一方では品種の改良等の技術研鑚を重ねながら次々と優良な品種を江戸野菜の中に生み出していきす。

これらの技術は明治になっても引き継がれ、大正そして昭和の30年代まで品質の改良や栽培は盛んに繰り返された結果、江戸野菜の発展が進み大都市としての農業を取り巻く環境は大きく変します。その様な中で高い技術を持つ「東京農業」は生産地と消費者が同じエリアであるという優位性を活かして野菜生産が広がり、私達の食生活を今日も元気に支えてくれています。

こうした伝統ある東京の農業から生産される野菜を「江戸、東京野菜」と呼んでいます。東京の農業は、日本の農業技術を常にリードし 都内で生産される農産物は今では100種類を越えるようになりました。根菜系の多い江戸野菜は「冬の野菜」が多く、夏の時期にはあまり種類がありません。それで今日は東京野菜を中心に、メニューの組み 立てをしました。

京野菜で有名な堀川ごぼうは江戸の野菜です。江戸の滝野川ごぼうを京都で栽培したものが堀川ごぼうで、とても香りが強く、スープなどにすると最高です。11月から4月ぐらいに多く出回ります。

夏の時期はピーマン臭が強かったので食べづらい物だったが、香も抑え甘みが増して 食べやすい野菜になった。江戸時代にオランダ人によって長崎に伝えられたトマトは、当時食用としてではなく鑑賞用だった。トマトが食用として使われる様になったのは明治時代で、アメリカから品種改良された物が伝わったが、酸味が強く日本の食文化に合わず根づかなかった。戦後の食生活の変化と共に洋風化され、栽培技術の発展や品種改良によって消費量は拡大し、重要な野菜の一つになっている。

キャベツ・ブロッコリー・カリフラワー・コールラビは同系の野菜でケールから派生し、キャベツに至っている。

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